2年ぶりの更新で一区切り

2年ぶりの更新です。実はこの間にいろんなことがありました。

2012年の1月から契約社員として再就職して忙しく働いていました。当初は1年以内に東京の会社に出向という話だったのですが、なかなか話がまとまらず、2012年の年末にかけてバタバタしたものの、思い切って会社を辞めて東京に引っ越すことにしました。2013年からはフリーランスとして奮闘中です。そして2013年には2回も引っ越し。

うつの方はまだ投薬中ですが、かなりよくなってきました。自宅仕事で引きこもっているため、このところ若干調子が悪いのですが…気づけているのでまだ大丈夫。

闘病中のことを思い出してまとめて書きたいなとか、読書記録を書くかもと思ってこのブログを残していたのですが、しばらく更新しないと思います。ライフハックも一段落。いろんな情報を自分の中で熟成させる期間のようです。

普段はTwitterでグダグダやっております〜。
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袋町小学校の伝言板から感じた逞しさ


広島で一番の商店街「本通」のすぐ近くに、袋町小学校という学校があります。今年で創立138年。ずっと今の場所にあるそうです。

その一角に平和資料館があります。小さい建物で見逃してしまいそうです。

私もこのあたりは何十回も通っています。広島中心部には原爆関係の慰霊碑がいくつもあるので大して珍しく感じなかったこともあり、一度も入ったことはありませんでした。しかし、先日この本を読んで途端に興味が湧き、訪れることにしました。

ヒロシマ ―壁に残された伝言 (集英社新書)

ヒロシマ ―壁に残された伝言 (集英社新書)

1999年、袋町小学校の旧校舎から被爆直後に書かれた伝言板が発見されました。袋町小学校は爆心地から460メートル。ほとんどの教員・生徒は即死したものの、奇跡的に一部の校舎は残りました。校舎の内部は火災で全焼しましたが、外壁は残り、爆心地近くでは貴重な雨風をしのげる場所だったため、避難場所および救護所となりました。その結果、自然と安否情報を求める人が集まる場所になりました。混乱の中、お互いに連絡を取るための手段になったのが伝言板です。校舎の壁にチョークで安否情報や尋ね人情報が書き込まれました。当時の様子が写真に残っています。

その後、学校は改装され、20世紀の終わりまで校舎として使われました。伝言板の存在は忘れられ、写真だけが残りました。しかし1999年に校舎を取り壊す段階で、再発見されたのです。

(参考)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/feature/hiroshima1223733489918_02/news/20081213-OYT8T00847.htm

この本は、伝言板に書かれた人たちのその後を追った取材をまとめたドキュメントです。

被爆の悲惨さや原爆症の辛さは注目されるものの、被爆者がその日・その後にどういう行動を取ったのかはあまり注目されていません。それぞれに家族がいて、それぞれの安否を確認する人たちがいました。そして広島に多くの人が探しにきました。

その様子を本で知り、私の頭の中で、当時の人と東日本大震災で安否を確認する人たちの姿が重なりました。そこには確かに今と同じ人の生活があり、人生があったのだなあと。確かに現実として。

平和資料館には、当時の校舎の一部と伝言板の一部が保存されています。伝言板の文字は本当にかすかで、よく60年も残ったものだと驚きました。しかしその文字からは、確かに存在した人の証を感じ取れました。決して遠い過去のことではなく、今に繋がっているのだなあと感じました。展示はわずかですが、当時の場所に残っていることに意義を感じます。混乱の中でも助けあい、生き延びた逞しさも感じました。

袋町小学校 平和資料館

袋町小学校の周りは華やかな繁華街です。多くの人が笑顔で行き交うのを見ながら、街は壊滅してもちゃんと生き返るのだと実感しました。

きっと、きっと、東北も福島も生き返ります。そう強く感じました。

「いい」努力と「悪い」努力


「努力」という言葉にどんなイメージを持っていますか?私は二宮金次郎とか、修学旅行のお土産(努力と彫ってある)をイメージしてしまうのですが…ちょっと古いですかね!小さい頃から「努力しなさい」と言われてきたせいか、努力は辛くて忍耐力を試されるイメージです。

仕事で資格を要求されるケースが増えているので、社会人になっても努力を強いられるようになりました。電車やカフェでと勉強する人をよく見かけます。また、書店では自己啓発本をよく見かけます。そういうものを見て「とりあえず努力しなければ!」と焦りを感じている人も多いのではないでしょうか。

努力は是か非かという議論もネットで見かけますが、私は努力には「いい努力」と「悪い努力」があると考えています。いい努力はどんどんした方がいいけれど、悪い努力はしない方がマシ。今日は私なりの善し悪しの見分け方をご紹介します。

私は苦手

努力=忍耐というイメージを持っている私ですが、2年前には「努力は絶対にしたほうがいい!」という趣旨の記事を書いていました。自分で読み返すとなんとも気持ちが悪いです。おそらく鬱がひどかった頃に書いたからだと思われます。驚くほど押しつけがましいですね…(反省)。

現在の私は努力が苦手です。楽しいことや面白いことが好きなので、ちょっとでも楽しくないとすぐに投げ出してしまいます。英語をコツコツ勉強しているイメージがあるからか、「努力家だね!」とよく言われるのですが、全然そんなことはありません。必要に迫られているからやっているだけです…。そのため、英語の語彙力はまったく伸びていません。トホホ。

努力=忍耐か?

実際のところ、努力=忍耐なのでしょうか。なんとなく「楽しいことを我慢して努力する」というイメージがあり、それが美徳という風潮もあります。スポ根ものの影響かな?

「努力」という言葉は、「努力しなさい」という他者からの指令とセットになっていることが多く、「させられる」「努力しなければならない」強制力やプレッシャーを伴っています。なんとも言えぬ暑苦しさは、この他者から強いられる圧力から感じられるものかもしれません。

一方で「楽しいことを楽しく努力する」イメージも広まってきたように感じます。自分の好きなことなら、どれだけ時間をかけても苦ではないし、むしろ楽しみになりますね。私の場合は読書がこれにあたるでしょうか。いろんな本を読むことは快楽です。

自分にとって楽しいことなら、努力は辛いことではなく楽しいものになるでしょう。

「いい」努力と「悪い」努力

これは他者から強いられる努力か、自発的にする努力かの違いです。どんなに自分のためになることでも、嫌で辛いと感じたら続きません。むしろ楽しくないと続かないのが当たり前です。人間ですからね。

このことから、私なりの努力の善し悪しの見分け方は
いい

  • 楽しい
  • 幸せになれる

悪い

  • 人から強いられている
  • 苦痛を感じる

というシンプルなものになります。

努力はするべきか?

では努力はするべきでしょうか?

私はやりたくない努力を無理にする必要はないと思っています。むしろその時間を自分の人生が楽しくなることに使った方がいいですね。あまり辛い努力ばかりしていると、ストレスが溜まって体が弱ってしまいますよ。

「そうか!じゃあ努力をやめよ〜っと」と思えた人は幸せな人生を送れるでしょう。自分の心に忠実なのは素晴らしいことです。

「でも努力しろと言われたからには、した方がよい」「人に迷惑がかかる」と考えた人は、要注意です。その真面目な性格、とても素晴らしいのですがストレスを溜め込むタイプです。他者から強いられている指令に応えようと頑張ることはいいことですが、どんな努力をするのかは吟味する必要があります。

自分の体に合うものを

真面目な人は、他者から与えられた像に自分を合わせてしまう傾向にあります。常識やら世間体やら、そういうことが自分の気持ちよりも優先してしまうんですね。与えられたスーツを無理矢理着ようとしています。

その努力を、少しでも「自分の心地いいものに」する努力に向けてみてはどうでしょうか。これを楽しくするにはどうしたらいいだろう?できるだけやらずに済ますにはどうすればいいだろう?もっと自分の心に素直に生きるにはどうしたらいいだろう?と考え、実行することに力を割くのです。

与えられたスーツに体を合わせるのではなく、自分の体に合うスーツを探す。自分の体に合う方法を見つける。そうすれば努力も毎日も、ちょっと楽しくなりますよ。

先送りとセルフイメージ


私は普段から、気になることをリストにしたり、タスク管理ツールを使ったりと、「やるべきことをこなす」ためにアレコレと画策しているのですが、「ああ、今日もやろうとしていたことができなかったな…」と毎日思っています。今日やるべきことはすべてやった!とスッキリしたいのですが、積み残しがでるんですよね。

積み残しの理由としては

  • 実際に処理できる能力以上のタスクを積み上げている
  • 今日はいいか…と先送りをしている

の2つが大きいです。

特に先送りは毎日やっています。疲れたから、ちょっと休みたいから、今日が締め切りではないから、などと理由をつけ先送りしまくっています。タスクリストに3年くらい載っているタスクもあります(自慢にならない)。

先送り女王と名乗れるほどですが、最近になって先送りし続ける弊害をじわじわと感じてきました。セルフイメージの低下です。

セルフイメージとは

セルフイメージとは、自分自身のことをどう思っているかということです。自己概念とも言います。

たとえば「自分は親切な人間だ」と思っていると、親切な行動が取りやすくなります。また「自分はツッコミだ」と思うことで、人の行動に突っ込みたくなるのもセルフイメージでしょう。

一方で、セルフイメージが悪くなると本来持っている能力を使えなくなることもあります。「自分は嫌われる人間だ」と思っていると人に話しかけるのが怖くなったり、「自分は勉強ができない」と思っていると勉強しても意味が無いように思えたりします。

セルフイメージが実際の行動にも大きく影響するわけです。

先送りによるセルフイメージの低下

先送りが続くと、「自分はいつも先送りする」「挙げたタスクをすべてこなせない」というセルフイメージができます。このような状況が続くと、しだいに劣等感や自己不全感を抱くようになります。「ダメな人間だからできないんだ」と。

このように考えると、先送りというのは本当に恐ろしいことです。作業が進まないだけでなく、劣等感の原因になってしまうとは。

セルフイメージの低下を防ぐ方法

セルフイメージの低下を防ぐには、「挙げたタスクができなかった」という事態を防ぐ必要があります。つまり、

  • とにかく片付けてしまう
  • 今日するタスクを必要最小限にする

のいずれかの方法が考えられます。

一番いいのはとにかく片付けてしまうことでしょう。作業も片付くし、「終わった♪」と達成感も味わえます。

そう考えるとなぜ今まで先送りにしていたのか…とバカらしくなってきました。私は一瞬の快楽のために先送りをして、達成感を得られないばかりか、劣等感をもつ羽目になっていたのですね。

今日するタスクを必要最小限にする方法は、「マニャーナの法則」で紹介されている方法です。

マニャーナの法則 明日できることを今日やるな

マニャーナの法則 明日できることを今日やるな

楽をとるのかセルフイメージを取るのか

私の性格上、楽をしつつもセルフイメージを高める方法は思いつきません。やりたいことがたくさんありすぎて、やらないと不全感が残ります。楽をとるのか、セルフイメージを取るのか、優先順位をつける必要があります。

今までは目先の楽を選びながらも、「できなかった…」と後悔していました。楽もセルフイメージも両方求めていたわけです。これからは「今は楽を選択する」「今はセルフイメージを高めるために作業をこなす」と意識し、モードを切り替えるつもりです。

別れは突然訪れる

年末に祖母が亡くなりました。お通夜でお寺の方が言われた話が印象的でした。

「いままでは人のことじゃと思うてきたが、俺が死ぬとは、こいつはたまらん」十返舎一九はそう言ったといわれている。

どんな人も、いつかは死が訪れることを知っているのに、自分だけはいつまでも命があると思い込んでいる。そうして毎日の生活に流され、不平・不満・愚痴ばかり。

生きているのは今だけなのに。

概要を要約するとこのような話でした(実際は20分くらいの話で長かった…)。

こういう思い込みありますね。何となく自分は大丈夫だろう、自分の周りの人もいつまでも元気でいるだろうと思っているという。

父との別れ

私のその幻想を打ち砕いたのは、父の突然の死でした。

父は単身赴任をしていましたが、月曜日になっても出勤しない。心配になった職場の方が家に行ったが誰も出ない。警察を呼び、窓を破って侵入すると変わり果てた父の姿があったそうです。56歳でした。母と私と妹はあわてて単身赴任先に向かいました。なにかの間違いであってほしいと祈りながら。

その場で父と対面し、現実感のわかないままボーッとしていました。広島に父を連れて帰るために、葬儀会社の人が父を持ち上げ運び始めたとたん、涙が溢れてきました。もう自分で歩くことができないんだ…と気づいたのです。

父の死は、特に父親っこだった私に大きな打撃を与え、うつを発症する原因の一つになりました。

そして「死は誰にでもいつか訪れる」ことを身をもって経験したのです。

別れはいつか訪れる

それ以来、世の中の見方が変わりました。楽しみを先延ばししたり、やりたいことを後回しにすることをやめました。今のうちに楽しめる範囲でしっかり楽しんでおこう、誰に対しても後悔の無いように振る舞おう、と思うようになりました。

いつまでも一緒というのは幻想です。どんな人でも物でも、いつか別れは訪れます。私はいつその日が来てもいいように、その日にできることはやるように心がけています。実際はだらけて時間を過ごすことが多いのですが、少なくとも人に対しては徹底しています。

人生30000日しかない

以前に人生三万日しかない。有意義に過ごしたか? - めざせ!へなちょこ脱出という記事を書きました。30Thouという、毎日を有意義に過ごしたのか記録するサイトの紹介です。このサイトが元となって、「人生30000日」という人が増えました。

一方で、「人生3万日」だと思ってはいけない | Lifehacking.jpLifehack.jpの堀さんが述べられているように、「30000日ある」と思ってはいけないという指摘もあります。

私も堀さんと同意見です。「30000日しかない」が「30000日ある」「30000日もある」となるのはすり替えです。平均で30000日しかない。もっと早いかもしれないし、長いかもしれない。約束された未来などないのです。

いつその日が来ても、笑顔で別れられるような人生を歩みたいです。

2012年の目標

みなさま本年もよろしくお願いいたします。

昨年末は身内で不幸があり大晦日に葬儀でした。ゆっくりと一年を振り返る余裕もありませんでした。ようやく一息つけたので、少し昨年を振り返り、本年の目標を挙げます。

2011年の目標ふりかえり

自分の言葉をつくる
  • 書きながら考える
  • 根拠を示す

昨年は思ったよりもブログ更新ができませんでした。Twitterでの発言も少なめでした。家でボーッとしていることが多かったです。自分の考えを書いたり、まとめたりすることはできませんでした。根拠をもって考えを表明するのはできたかな?まだまだ修行が必要ですね。

読書
  • 150冊/年

最終的に、154冊を読むことができました。軽めの本が中心とはいえ、たくさんの本を読むことができ楽しかったです。ビジネス書だけではなく、社会系や科学系のノンフィクションも読めたので満足しています。書評は全然書けませんでした。

健康
  • 少しずつ活動量を増やす

寝込むことが減り、予定通りに活動することができました。少しずつ仕事も始めています。本格的に回復期にはいったと感じます。気持ちもとても安定してきました。

  • 毎日の筋トレ

結構さぼったかな…。

そこそこ目標は達成できました!

2012年の目標

ブログ
  • 週1回は更新する

今年は週に1回は更新します。しっかりとした主張がないと更新できないと自分をがんじがらめにしていたので、もう少し緩くいきたいですね。

英語

アルクの1000時間ヒアリングマラソンを受講中です。今年も引き続きがんばります。1年間に1000時間は難しそうですが、あきらめずにコツコツがんばります。英語学習ブログに毎日なにか書きます。

読書
  • 洋書を読む

今年は読書量の目標は無しで。iPadを購入したことですし、満を持して洋書(電子書籍)を読みます。

  • ノンフィクション中心に

ノウハウ本などのビジネス書も読むつもりですが、今年はノンフィクションを中心に、深掘りする読み方をします。

仕事

今年は、本格的に仕事を始めます。昨年中に細々と種をまいていたので、そろそろ芽が出てくる頃かな?新しい環境にどんどん飛び込みます。


みなさんはどんな目標を立てましたか?目標を立てた人も、立てない人も、素敵な1年になりますように!

2011年に読んだ本のうち印象に残ったもの10冊


http://d.hatena.ne.jp/stilo/20111206/book2011さんの企画に参加して、2011年に印象に残った本を10冊ご紹介します。

社会系

モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない

家庭内や職場に止まらず、社会全体に増えていると感じるハラスメント。特に行きすぎた「精神論」「しつけ」としてモラル・ハラスメントが横行しているのが気になっていたので、詳しく知るために手に取りました。被害者視点で実例を挙げ、「あなたの受けているのはモラル・ハラスメントである」「あなたは悪くない」とやさしく解説されています。一方で加害者側に救いはありません。モラル・ハラスメントの被害とはどういうものかを知りたい人に。

モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない

モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない

なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想

成功した企業や実業家の実例を挙げ、それを真似すれば自分も成功できると思わせるビジネス書が増えています。そのような本の誤りを、理論的に考察した本。ハロー効果とは、全体の印象から個々の特徴を判断する傾向のことで、簡単に言うと「いい印象があるからその人のすることもよく見える。悪い印象だと悪く見える。」こと。同じ手法をとっても成功しなかった人たちの例は無視される、周りの影響(タイミング・社会情勢)も無視されるなど、ビジネス書にありがちな間違いが説明されています。ビジネス書に疑問を持っている人に。

なぜビジネス書は間違うのか

なぜビジネス書は間違うのか

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

福島第一原発の事故に関する報道や周囲の反応に、疑問と不快感を持っていました。なぜ科学的根拠を知ろうとせず、「安全」「危険」という二分論になるのかと。理系と呼ばれてきた私にはさっぱり理解できませんでした。この本では、科学的に物事を考えられない人たちの特徴を著者の印象ベースで書かれています。全てに同意はできませんが、なぜ科学的に考えられない人が存在するのかという分析が面白かったです。社会について考える軽い読み物として。

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

東日本大震災前に読んだ本。なんとなく世の中の空気が「戦前」に通じると感じ、戦前のことを知るために手に取りました。ある高校の歴史部向けに行われた講義で、対話形式になっています。戦争は悪い人が扇動したわけではなく、国民が選び、なだれこんでいったものなのだとわかりました。近代史は詳しくないので理解度は半分くらいでしたが読み応えがありました。戦前の空気を知りたい人に。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

心理系

ダメな自分を救う本―人生を劇的に変えるアファメーション・テクニック

うつもよくなり自責感が消えたものの、自己肯定感をもっと持ちたいと思っていたときに手に取った本。潜在意識やセルフイメージが自分にどういう影響を与えるか解説されています。ワークブック形式になっているので、すぐに実践できるのが気に入りました。
記事でも紹介しました。→ 自分のことが好きですか? ー 「ダメな自分を救う本」を読んで - めざせ!へなちょこ脱出
半年経って振り返ると、自己肯定感を強くもてるようになったし、生きていることが楽になりました。読んで良かった本です。もっと自分を好きになりたい人に。

自分の小さな「箱」から脱出する方法

私は人間関係の悩みを聞く機会が多く、どうしたらもっと争いが減るのだろうかと感じていた時に手に取った本。知らないうちに入り込んでいる「箱」について、ストーリー仕立てで知ることができます。「自分は正しい」「傷つけられたくない」と自分を守ることに必死なのだとわかりました。そこから抜け出す方法についても。人間関係がしっくりこない人に。
記事でも紹介しました。 → 誰もが箱の中で他人に背を向けている ー 「自分の小さな箱から脱出する方法」を読んで - めざせ!へなちょこ脱出

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

  • 作者: アービンジャーインスティチュート,金森重樹,冨永星
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2006/10/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 156人 クリック: 3,495回
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傷つかない技術

ネットで繰り返される中傷合戦や批判の応酬に辟易し、かといって無視するのはよくないと葛藤していたときに手に取った本。批判は、有益な批判であっても有害なのだという記述に目から鱗が落ちました。「批判を無視する」「批判をかわす」という解決方法ではなく、受け止めて無害化する方法が紹介されています。アサーションに通じるかも。本はやや読みにくいです。傷つくのが怖い人に。

傷つかない技術

傷つかない技術

メンタル・タフネス―勝ち抜く「精神力」を手に入れる

メンタルも体と同じようにトレーニングで鍛えることができる、という本。精神論ではありません。筋トレと同じで、精神にもオーバートレーニングとアンダートレーニングがあり、ストレスが大きすぎても小さすぎても精神が弱くなってしまうとのこと。ネガティブな感情は、精神疲労の兆候という指摘が面白かったです。ストレスに強くなりたい人に。

メンタル・タフネス―勝ち抜く「精神力」を手に入れる

メンタル・タフネス―勝ち抜く「精神力」を手に入れる

生き方

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

「癌は僕の人生に起こった最良のことだ。」淡々と語られる中に凄みを感じました。人はここまで強くなれるのでしょうか。勇気をもちたい人に。

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

ゆたかな人生が始まる シンプルリスト

私自身は物欲にまみれているのですが、シンプル生活にも憧れがあります。特に身の回りや人生のいろいろをリストにして、すぐに思い出せるようにしたいなあという野望があります。その参考に手に取った本。リストを書いて振り返りながら、丁寧に生きることを学びました。リストマニアに。

ゆたかな人生が始まる シンプルリスト

ゆたかな人生が始まる シンプルリスト

まとめ

今年は150冊読破が目標でした。現在149冊なので、目標達成できそうです。一方で、読みやすい本ばかり読んでしまったなあ〜という反省も。印象に残る本は読みにくいんですよね。そのぶん、脳をかき回されるような知的興奮を味わいます。

来年はどんな本と出会えるのでしょうか?わくわくします。