別れは突然訪れる

年末に祖母が亡くなりました。お通夜でお寺の方が言われた話が印象的でした。

「いままでは人のことじゃと思うてきたが、俺が死ぬとは、こいつはたまらん」十返舎一九はそう言ったといわれている。

どんな人も、いつかは死が訪れることを知っているのに、自分だけはいつまでも命があると思い込んでいる。そうして毎日の生活に流され、不平・不満・愚痴ばかり。

生きているのは今だけなのに。

概要を要約するとこのような話でした(実際は20分くらいの話で長かった…)。

こういう思い込みありますね。何となく自分は大丈夫だろう、自分の周りの人もいつまでも元気でいるだろうと思っているという。

父との別れ

私のその幻想を打ち砕いたのは、父の突然の死でした。

父は単身赴任をしていましたが、月曜日になっても出勤しない。心配になった職場の方が家に行ったが誰も出ない。警察を呼び、窓を破って侵入すると変わり果てた父の姿があったそうです。56歳でした。母と私と妹はあわてて単身赴任先に向かいました。なにかの間違いであってほしいと祈りながら。

その場で父と対面し、現実感のわかないままボーッとしていました。広島に父を連れて帰るために、葬儀会社の人が父を持ち上げ運び始めたとたん、涙が溢れてきました。もう自分で歩くことができないんだ…と気づいたのです。

父の死は、特に父親っこだった私に大きな打撃を与え、うつを発症する原因の一つになりました。

そして「死は誰にでもいつか訪れる」ことを身をもって経験したのです。

別れはいつか訪れる

それ以来、世の中の見方が変わりました。楽しみを先延ばししたり、やりたいことを後回しにすることをやめました。今のうちに楽しめる範囲でしっかり楽しんでおこう、誰に対しても後悔の無いように振る舞おう、と思うようになりました。

いつまでも一緒というのは幻想です。どんな人でも物でも、いつか別れは訪れます。私はいつその日が来てもいいように、その日にできることはやるように心がけています。実際はだらけて時間を過ごすことが多いのですが、少なくとも人に対しては徹底しています。

人生30000日しかない

以前に人生三万日しかない。有意義に過ごしたか? - めざせ!へなちょこ脱出という記事を書きました。30Thouという、毎日を有意義に過ごしたのか記録するサイトの紹介です。このサイトが元となって、「人生30000日」という人が増えました。

一方で、「人生3万日」だと思ってはいけない | Lifehacking.jpLifehack.jpの堀さんが述べられているように、「30000日ある」と思ってはいけないという指摘もあります。

私も堀さんと同意見です。「30000日しかない」が「30000日ある」「30000日もある」となるのはすり替えです。平均で30000日しかない。もっと早いかもしれないし、長いかもしれない。約束された未来などないのです。

いつその日が来ても、笑顔で別れられるような人生を歩みたいです。