「いい」努力と「悪い」努力


「努力」という言葉にどんなイメージを持っていますか?私は二宮金次郎とか、修学旅行のお土産(努力と彫ってある)をイメージしてしまうのですが…ちょっと古いですかね!小さい頃から「努力しなさい」と言われてきたせいか、努力は辛くて忍耐力を試されるイメージです。

仕事で資格を要求されるケースが増えているので、社会人になっても努力を強いられるようになりました。電車やカフェでと勉強する人をよく見かけます。また、書店では自己啓発本をよく見かけます。そういうものを見て「とりあえず努力しなければ!」と焦りを感じている人も多いのではないでしょうか。

努力は是か非かという議論もネットで見かけますが、私は努力には「いい努力」と「悪い努力」があると考えています。いい努力はどんどんした方がいいけれど、悪い努力はしない方がマシ。今日は私なりの善し悪しの見分け方をご紹介します。

私は苦手

努力=忍耐というイメージを持っている私ですが、2年前には「努力は絶対にしたほうがいい!」という趣旨の記事を書いていました。自分で読み返すとなんとも気持ちが悪いです。おそらく鬱がひどかった頃に書いたからだと思われます。驚くほど押しつけがましいですね…(反省)。

現在の私は努力が苦手です。楽しいことや面白いことが好きなので、ちょっとでも楽しくないとすぐに投げ出してしまいます。英語をコツコツ勉強しているイメージがあるからか、「努力家だね!」とよく言われるのですが、全然そんなことはありません。必要に迫られているからやっているだけです…。そのため、英語の語彙力はまったく伸びていません。トホホ。

努力=忍耐か?

実際のところ、努力=忍耐なのでしょうか。なんとなく「楽しいことを我慢して努力する」というイメージがあり、それが美徳という風潮もあります。スポ根ものの影響かな?

「努力」という言葉は、「努力しなさい」という他者からの指令とセットになっていることが多く、「させられる」「努力しなければならない」強制力やプレッシャーを伴っています。なんとも言えぬ暑苦しさは、この他者から強いられる圧力から感じられるものかもしれません。

一方で「楽しいことを楽しく努力する」イメージも広まってきたように感じます。自分の好きなことなら、どれだけ時間をかけても苦ではないし、むしろ楽しみになりますね。私の場合は読書がこれにあたるでしょうか。いろんな本を読むことは快楽です。

自分にとって楽しいことなら、努力は辛いことではなく楽しいものになるでしょう。

「いい」努力と「悪い」努力

これは他者から強いられる努力か、自発的にする努力かの違いです。どんなに自分のためになることでも、嫌で辛いと感じたら続きません。むしろ楽しくないと続かないのが当たり前です。人間ですからね。

このことから、私なりの努力の善し悪しの見分け方は
いい

  • 楽しい
  • 幸せになれる

悪い

  • 人から強いられている
  • 苦痛を感じる

というシンプルなものになります。

努力はするべきか?

では努力はするべきでしょうか?

私はやりたくない努力を無理にする必要はないと思っています。むしろその時間を自分の人生が楽しくなることに使った方がいいですね。あまり辛い努力ばかりしていると、ストレスが溜まって体が弱ってしまいますよ。

「そうか!じゃあ努力をやめよ〜っと」と思えた人は幸せな人生を送れるでしょう。自分の心に忠実なのは素晴らしいことです。

「でも努力しろと言われたからには、した方がよい」「人に迷惑がかかる」と考えた人は、要注意です。その真面目な性格、とても素晴らしいのですがストレスを溜め込むタイプです。他者から強いられている指令に応えようと頑張ることはいいことですが、どんな努力をするのかは吟味する必要があります。

自分の体に合うものを

真面目な人は、他者から与えられた像に自分を合わせてしまう傾向にあります。常識やら世間体やら、そういうことが自分の気持ちよりも優先してしまうんですね。与えられたスーツを無理矢理着ようとしています。

その努力を、少しでも「自分の心地いいものに」する努力に向けてみてはどうでしょうか。これを楽しくするにはどうしたらいいだろう?できるだけやらずに済ますにはどうすればいいだろう?もっと自分の心に素直に生きるにはどうしたらいいだろう?と考え、実行することに力を割くのです。

与えられたスーツに体を合わせるのではなく、自分の体に合うスーツを探す。自分の体に合う方法を見つける。そうすれば努力も毎日も、ちょっと楽しくなりますよ。