袋町小学校の伝言板から感じた逞しさ


広島で一番の商店街「本通」のすぐ近くに、袋町小学校という学校があります。今年で創立138年。ずっと今の場所にあるそうです。

その一角に平和資料館があります。小さい建物で見逃してしまいそうです。

私もこのあたりは何十回も通っています。広島中心部には原爆関係の慰霊碑がいくつもあるので大して珍しく感じなかったこともあり、一度も入ったことはありませんでした。しかし、先日この本を読んで途端に興味が湧き、訪れることにしました。

ヒロシマ ―壁に残された伝言 (集英社新書)

ヒロシマ ―壁に残された伝言 (集英社新書)

1999年、袋町小学校の旧校舎から被爆直後に書かれた伝言板が発見されました。袋町小学校は爆心地から460メートル。ほとんどの教員・生徒は即死したものの、奇跡的に一部の校舎は残りました。校舎の内部は火災で全焼しましたが、外壁は残り、爆心地近くでは貴重な雨風をしのげる場所だったため、避難場所および救護所となりました。その結果、自然と安否情報を求める人が集まる場所になりました。混乱の中、お互いに連絡を取るための手段になったのが伝言板です。校舎の壁にチョークで安否情報や尋ね人情報が書き込まれました。当時の様子が写真に残っています。

その後、学校は改装され、20世紀の終わりまで校舎として使われました。伝言板の存在は忘れられ、写真だけが残りました。しかし1999年に校舎を取り壊す段階で、再発見されたのです。

(参考)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/feature/hiroshima1223733489918_02/news/20081213-OYT8T00847.htm

この本は、伝言板に書かれた人たちのその後を追った取材をまとめたドキュメントです。

被爆の悲惨さや原爆症の辛さは注目されるものの、被爆者がその日・その後にどういう行動を取ったのかはあまり注目されていません。それぞれに家族がいて、それぞれの安否を確認する人たちがいました。そして広島に多くの人が探しにきました。

その様子を本で知り、私の頭の中で、当時の人と東日本大震災で安否を確認する人たちの姿が重なりました。そこには確かに今と同じ人の生活があり、人生があったのだなあと。確かに現実として。

平和資料館には、当時の校舎の一部と伝言板の一部が保存されています。伝言板の文字は本当にかすかで、よく60年も残ったものだと驚きました。しかしその文字からは、確かに存在した人の証を感じ取れました。決して遠い過去のことではなく、今に繋がっているのだなあと感じました。展示はわずかですが、当時の場所に残っていることに意義を感じます。混乱の中でも助けあい、生き延びた逞しさも感じました。

袋町小学校 平和資料館

袋町小学校の周りは華やかな繁華街です。多くの人が笑顔で行き交うのを見ながら、街は壊滅してもちゃんと生き返るのだと実感しました。

きっと、きっと、東北も福島も生き返ります。そう強く感じました。