私は凡人だったか? -「凡人として生きるということ」を読んで


凡人として生きるということ (幻冬舎新書)

凡人として生きるということ (幻冬舎新書)


実は押井守さんの作品は一度も見たことがありません…。
「凡人として生きるということ」というタイトルを見て、才能を夢見るな・上昇志向を捨てろという本なのかと予想しましたが違いました。
彼がこれまでの人生の中で獲得した考え、世の中の見方など本音が綴られています。


その内容も独特。
「若さに価値はない」
「友達なんて必要ない」


「若いっていいよね!いくらでも選択肢があるし」などと言うが本当にそうか、と問いかけます。
若いうちは自分の自由になるお金も人脈もない。失敗は厳しく責め立てられる。
むしろ若者よりも大人(この本ではオヤジ)の方に選択肢が多くあるのではないでしょうか。


私も思い返してみれば、社会人になりたての頃は何も分からず、とにかく上司に言われるままに作業をしていました。
自分の自由になることはなにもありませんでした。
経験を積んでいくうちに、自分のできることは増え、任せられる仕事も増えていく。
確かに「若い」というだけではいいことはなかったように思います。


若さが素晴らしいのではなく、本当は積みかさねた経験こそが素晴らしい。
「若いっていいよね」という言葉で自分の可能性をそぎ落としてはいないでしょうか。
年を取ったからという理由で、やりたいことを我慢してはいないでしょうか。


私は最近、60代の女性の方とお話しする機会が多いのですが、彼女たちは実にイキイキとしています。
生活に余裕がある方もない方もいますが、みなさんそれまでに積み重ねた経験をもとに自分のやりたいことに向けて全力で活動されています。
彼女たちに比べ、私たちの世代はまだ自分の生活でいっぱいいっぱい。
もちろんそれは悪いことではなく、今はそれでいいのだと思います。
できることを精一杯やることで、やりたいことができる自由もできてくるのではないでしょうか。


世の中の95%は凡人だと彼は言います。
凡人だからすぐに社会で認められるわけではないし、失敗もする。
だからこそ失敗を恐れずやりたいことをやろう、と。


この本を読んで、私は心が乱されました。
私は自分が凡人であることを認められずにいたように思います。
自分には特殊な能力がないとガッカリし、どこかあきらめてしまっていました。
等身大の自分を受け入れられなかった私は凡人にすらなれていなかったのでしょう。


正しい・正しくないという基準ではなく、ずばっと本音を言う彼の姿が素敵でした。
私も本音で生きていきたい。