自分に心地いい情報だけに触れることの弊害-「ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性」を読んで


ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書)

ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書)


ネットでよく見かける炎上の心理が知りたくて手に取りました。
ネット歴は長いので、2ちゃんねるなどを発端とした数々の炎上を見てきました。
私はてっきりネットが普及し個人の声が個人に届くようになったために
発生した現象かと思っていましたが、本書を読み進めるうちにそうではないことに気づきました。


炎上は、ある価値観の正義の元に行われる私刑です。
一般常識(その人にとっての)に照らし合わせて、不適切な行動・発言をする人を批判し、
場合によっては個人情報を流出させるなどの行為に発展することも。


その姿は、自分の気に入らない人をリンチでぼこぼこにしている姿と重なります。
例えばいじめや連合赤軍の「総括」などを連想します。
つまり炎上とはネット特有の現象ではなく、人間が元々持っている性質であり
ネットの普及でそれが顕著になったにすぎないのです。


なぜ自分の正義の元に暴走してしまうのか。
その理由の一つにサイバーカスケードという現象があります。
サイバーカスケードとは、ネット上の集団が特定の考えに滝のように流れていくことです。


中国に批判的なニュースを見続けることで反中になっていく、
マスコミに批判的な言動をしていくうちにますますマスコミ嫌いになる、
iPhoneを評価しているうちにApple信者になる…など、
事例がいくらでも思いつくほど、ありふれた現象ではないでしょうか。


ネットは自分の必要な情報を取捨選択できるメディアです。
自分の欲しい情報は大抵見つかり、自分の見たくない情報は見なくてすむ。
都合の良い情報だけに触れていると、次第にその考えが世界の中心のように感じられ、
自分の価値観は正しい=自分は正義だ=そうでない人は間違っている…と発展する、と分析されています。
振り返ってみると自分自身も心当たりが…。


「ネットの意見」というものは自分の見聞きした範囲の情報でしかないわけですが、
あたかもネット全てを表すように言われることが多いです。
特にネット批判をする人に顕著だと思います。
ネットで得られる情報には自分のバイアスがかかっていると考えると、
自分の目に見える「ネット」は鏡に映る自分の姿、つまり自分の価値観だと言えるのではないでしょうか。


自分の都合の良い情報だけを見る、というのは心地よいことですが
長期的に見ると非常に危険な行為だと感じました。
本書では、ネットと同じく「自分の思想にあった本ばかり読む」ことも同様だと書かれています。
ぐさり…!