戦争のあった時代の人たちと自分たちは違うのだろうか? ー 終戦の日に寄せて


 テレビで戦争特集を見ると、夏が来たなあと感じる。私は小学生の頃から広島市に住んでいるので、夏といえば平和学習だった。8月6日は登校日で、原爆の映画を見せられ、話を聞かされた。社会見学で原爆資料館にも何度か行った(昔の展示は今よりももっとショッキングだった)。とてもリアルで怖くて、「もしいま原爆がおちたらどこに隠れようか」と毎日シミュレーションするほど怯えていた。広島で平和学習を受けた人の中には、それがトラウマになって戦争のことなど見たくないという人もいる。

 毎年繰り返される戦争特集を見て、どう感じるだろうか。「命の大切さ」だったり「戦争の悲惨さ」を挙げる人が多いと思う。私も子どもの頃はそう感じていた。

 でも最近はまったく違うとらえ方をするようになった。一番強く感じるのは「人間の愚かさ」だ。

 子どもの頃は、戦争は「過去のこと」であり、戦争のあった時代の人は「間違っている人」だと思っていた。そして平和学習をしている私たちはそれと同じことを繰り返さない、学習している「正しい人」だと思っていた。

 本当にそうだろうか?

 私は「戦争のあった時代の人と自分は違う」と無意識に思い込み、それで満足していた。しかし、過去に起きた戦争やいま起きている戦争のことを知れば知るほど、戦争のあった時代の人と自分との違いが見つからなくなってきた。

 繰り返される民族紛争や差別、極端なナショナリズム、過熱し分化する議論。そういうものをネットやニュースで目にするたびに、「自分たちもあの世代の人と同じだ」と強く感じる。私たちはあの辛い経験を学び、なおそれを繰り返してしまうほどに愚かなのだろうか。自分たちは戦争を起こさないとうぬぼれていていいのだろうか。

 過去の経験から学び、今の生活に生かせることは何があるだろうか。そういう視点で戦争特集をみていきたいと思っている。