読書術に優劣なし。楽しんだもの勝ち。


日経ビジネス Associe 10/4号が読書術特集だったので、楽しく読みました。

主に「読書の達人」へのインタビューで構成されており、その人の読書術を紹介しています。今回は本の紹介は少なめで、技術に焦点を当てた内容でした。興味深く読み始めましたが、初っぱなから気になる表現が…。

(要約)
多読する人に仕事ができる人はいません。

これにはちょっとカチンときました。ビジネスAssocieなので仕方がないのかもしれませんが、読書と「仕事ができる」を結びつけるのは少し無理があるのではないか?と感じます。

「多読する人に仕事ができる人はいない」の真意

記事を読むと、この場合の多読とは目についたものを闇雲に読んでいくことを指すようです。計画性無く本を選んだり、本を読んだだけで満足していたりということです。無計画に読書し、本の知識を十分に活かせない人は、仕事でも同じことをするというのが真意のようです。


確かに、忙しいビジネスパーソンは読書に割ける時間も限られるでしょうし、できるだけ読書の効果を最大化したいでしょう。十分に読書を活かせている人は仕事ができると考えられます。でも逆は成立するのか??

読書=仕事なのか?

仕事に必要な知識を本から仕入れるのは大切なことです。Associeでも本に書き込む読書術が紹介されていました。


でも読書の楽しみは知識を得ることだけではないと思うのです。新しい価値観を知ることができたり、違う世界・時代を旅したりという楽しみもあります。本・文章全体から伝わってくることは、線を引いたり付箋を貼ったりするだけでは感じることはできません。


本を通して「楽しいなあ」「不思議だなあ」「面白いなあ」と感じることを、私は大切にしたいです。それは読書を仕事という枠組みで捉えているだけでは感じられないのではないでしょうか。

アウトプットは大事だが

最近は読んだ本をアウトプットして初めて効果がある、という人もいます。本を読んで学んだことをアウトプットすると、確かに理解度はあがります(実体験あり)。


でもアウトプットにこだわりすぎると、アウトプットができないから本を読まなくなるという本末転倒なことになりかねません。私は以前、アウトプットができないから本に手が伸びなくなったことがあります。読書が目的なのに、アウトプットを意識しすぎて読書できないなんておかしいですよね。

楽しく読むのが一番

そう考えると、まずは自分の好きな方法で好きな本を読むのが一番ではないかと思います。物足りなさを感じたら、そのときからアウトプットしたり線を引いたりし始めればいいのです。


Associeに出てきた「読書家は必ず本を汚しながら読む」「多読する人は仕事ができない」というのは、自分の読書術が優れていることを裏付けたい言葉でしかありません。効率のよい読み方はあるでしょうが、方法に優劣はないと思います。1ヶ月に10冊本を読む人と1冊読む人のどちらが優れているか?という問いは意味があるでしょうか?問題は冊数でも、本を完璧に理解することでもありません。優劣をつける考え方には意味がありません。


「この本に出会ってよかった!」という体験が読書の醍醐味だと私は思います。そういう幸せな本との出会いを。みなさんの自由な方法で。