真実はいつもひとつ? −「99.9%は仮説」を読んで

みなさんは「科学」にどういうイメージを持ちますか?

  • 理論的
  • 先進的
  • 賢そう!
  • 頭でっかち
  • 冷たい

など、キッチリと精密なイメージでしょうか。科学によって世界が解明されていると感じている方も多いでしょう。

科学では数式やたくさんのデータを使って法則を導き出し、それを利用して理論を作り上げています。学校でいろんな法則を習いましたよね。でもその理論が真実かどうかは完全には明らかでなく、「確からしい」ものだって知っていますか?

からし

科学法則の多くは、「こう考えると物事がうまく説明できる」というものです。今まで多くの実験や観測を繰り返し、うまく説明できるので「確からしい」と考えられています。

科学に明るくない人は、「科学法則は絶対だ!」と思っているかもしれませんが、絶対ではありません。

後になって、理論では説明できないデータが何度も出てくると、もっと良い理論に置き換えられます。そうやってブラッシュアップして、科学は発展してきました。

科学教

2011年は原発事故が起こり、「科学という宗教に心を奪われた輩」などという発言もネットで目にしました。こういう発言を見るたびに、科学を誤解している人が多いなあと感じます。

私は科学と宗教は対局にあるのではないかと考えています。どちらも何らかの法則あるいは教義を元に発展していますが、宗教はその教義を「信じる」ところから出発しているのに対し、科学は「信じない」のが基本です。

科学法則は、いまも常に誰かが「この法則でうまく説明できるか」を検証し続けています。多くの検証をくぐり抜け「確からしい」と思われたものが通説になります。

つまり、検証できるものが科学、と言えるでしょう。検証できないものはいくら数式やデータを使っていても科学ではありません。またその検証自体も、他の人から検証される必要があります。

この考えに基づくと、考古学や地理学など、一般的に「文系」と言われている学問のほとんどは科学だとわかります。(文系・理系の区別にも言いたいことがありますが、それは別記事にて。)

真実はひとつ?

そう考えるとなんだかモヤモヤしませんか?

真実はいつもひとつ!という小学生(中身は大人)がいますが、本当に真実はひとつなんでしょうか。自分の見ている真実は真実と証明できるのでしょうか?

いま自分が「正しい」と信じていることも、場合によって・時代によっては正しくないかもしれません。学校で習った法則だって、数年後には置き換わるかもしれません。これらはあくまで「現時点での仮説」なのです。

頭を柔らかく

前提や常識を疑う「頭の柔らかさ」は現代人に必要だと思います。頭、コチコチになっていませんか?

もちろん全てを疑うのは現実的ではありません。大事なのは、持論を反証されたときにどんと受け止める柔らかさです(論理的でない反証に答える義理はありません)。自分の信じてきたことが間違いだという意見も、一理あるかな?と立ち止まって考える。反証が正しければ、素直に認める。こういう「科学的」な態度で生きたいものです。

99.9%は仮説

こんなものも仮説なんだよとわかりやすく紹介してくれているのがこの本。散文的なので科学が苦手な人でも、気楽に読めます。
もちろんこの本に書いてあることも仮説ですよね。

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

2011年に起こった出来事は、多くの幻想を打ち砕き、新たな幻想を作り出しました。各々の考える「真実」が「ただひとつの真実」だと思い込み、あちこちで衝突が絶えません。どれも仮説なんだと考えることで、柔軟さを取り戻せるかも。ガチガチの世界で苦しくなった人にオススメです。

【企画】2011年の「一冊」を教えてください! – R-styleに参加します(^o^)