書くことで見えないことが見えてくる

ここ1ヶ月ほど意識して文章を書くトレーニングをしています。


きっかけは「魂の文章術」を読んだこと。

魂の文章術―書くことから始めよう

魂の文章術―書くことから始めよう


以前書いたように「書くことは書くことでしかうまくならない」と思い実践してきました。
(書くことは書くことでしか上手くならない - めざせ!へなちょこ脱出)
ブログを書いたり、思い出を書き起こしたり。


でも、なんだかすっきりしないのです。
「トレーニングをしなきゃいけないな」と思うのですが、なかなか筆が進まない。
そこでもう一度「魂の文章術」を読み返しました。
なぜトレーニングをしようと思ったのか、という原点に戻ることにしたのです。

なぜ書くのか

「書くこと」は修行と同じであり、書けないことは才能不足ではなく単にトレーニングが足りないだけである。
「書くこと」はあなたの人生を振り返ること、もう一度生きることである。

ここで自分が道から逸れていることに気づきました。
はじめは、自分の中の忘れている記憶を書くことで思い出せるのではないか、
書き続けることで壮大な自分史が書けるのではないかと考えていました。
しかし、いつの間にか「上手に文章を書く」ためのトレーニングだと考えるようになっていました。


書くことは書くことでしかうまくならない。
でもスキルを磨くことを目標にしてしまうと、書くことがなんとも味気なくなってしまいました。
本当にやりたかったのは上手くなることではなく、
書くことで自分の知らない自分と出会うことだったのです。

質より量を重視しよう

「魂の文章術」には、一番大切なのは書く量であり質は自然と上がっていくもの、と書いてあります。
私は書く内容の質にこだわり、それが逆に自分の首を絞めていました。


どうすれば速く走れるか。
その理論をいくら机で勉強したとしても、足は速くなりません。
効率的な練習方法をいくら考えたとしても、実践しなければ効果は出ません。
どうしたら内容のある文章を書けるか、上手い文章が書けるようになるか。
私はそればかりに気をとられていました。
本当に必要なのは「書くこと」そのものだったのです。


この本の著者であるナタリー・ゴールドバーグさんは、月に1冊のノートを埋めることを目標にしているそうです。
そこで私もノート1冊分(およそ50000文字)を1ヶ月で書くことを目標にしました。
一日あたり1700文字です。

何を書くのか

書く内容は深く考えないことにしました。
「魂の文章術」に書くときの心得が載っています。

  1. 手を動かし続ける。書いた文章を読み返さないこと。
  2. 書いたものを消さない。
  3. 文法、句読点、レイアウトを気にしない。
  4. コントロールを緩める
  5. 論理的にならない。
  6. 気持ちが動いたらまっすぐそれに飛びつく。

つまり、自分の心に浮かんだことをそのまま書けばよいということです。
論理的でないとか、文脈がおかしいとか、批評する目線は不要なのです。


心のままに、思いつくことを書けばよい。
こう考えると気分がとても楽になりました。
ナタリーさんも「クソ!」なんて言葉でノートを埋め尽くすこともあるとのこと。
愚痴や後ろ向きな感情でも、そのときに自分が考えていることをそのまま正直に書く。
それが大事だったのです。


昨日はこんなことを書きました。

洗濯ものの香り。太陽の匂いがついていてとても気持ちがいい。
ふわふわした雲に乗っている気分だ。
最近は日に当たる時間が少ないので、太陽の存在を忘れてしまっている。
もっと日中に出歩いたほうがいいんじゃないかな。

書くことで、私は太陽の光に当たると気分がよくなるということを発見できました。

自分の心に正直になろう

思えば、私はいつも
「上手くやらなければならない」
「自分の考えなんて大したことがない」
「書くほどの値打ちもない」
と考えていたようです。
それが無意識のうちにブレーキをかけており、書くことができませんでした。


でも、どんなにくだらないことでも、
それが自分の正直な気持ちなのです。
本当に言いたいことを書けばいい。
自分の心に正直になったらいい。
誰に遠慮することもないのだ。
そう思えるようになりました。


ブレーキを外すと考えが溢れてきました。
自分の心のままに文章を書くことはとても楽しいです。
新しい自分に出会えるんだ!というわくわく感でいっぱいです。