コツコツ努力するのは悪いこと?


散らかった部屋から抜け出す方法 - めざせ!へなちょこ脱出で私はこう書きました。

現状を変えようと思うのならば、劇的に変わる方法を求めるのではなく、
自分にできることをやっていくしかないのです。
多少のやり方のコツはあるでしょうが、近道はないのです。

つまり、地道にやっていくことこそが目標を達成する唯一の道、ということです。

しかし先日、こういう記事を読みました。

 面談をしていて、「私はコツコツ努力するタイプです」と言う人を、私は信用しない。その言葉を聞いたとたん、 「コイツはダメだな」と思ってしまう。
 むろん、コツコツ努力するのは、まったく努力しないよりははるかにいい。しかし、コツコツ努力する人が大きく成長することはないし、一流の人間になるこ ともない。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100212-00000001-president-bus_all#

コツコツ努力することは悪いことなのでしょうか?

継続することはできないことを実現する唯一の道

コツコツ努力する姿は、端から見るととてもがんばっているように見えます。
その継続する力を尊敬しますし、続けられるほどの熱意があるなんてすごい!と感じます。


物事を継続すると、自然と実力がついてきます。
継続していくことで今までできなかったことが楽にできるようになり、
自分のキャパシティが広がり、次のステップに進むことができます。
まさに継続は力なりです。


できないことを急にできるようにするのは無理です。
できるようにするためには、できることから小さく始めるのが一番です。
そして慣れたら徐々に大きくしていく。
一発逆転の方法を探す時間を考えれば、今すぐ始めた方が何倍もいいのです。

できることをできる範囲でやることの弊害

しかし、できる範囲のことをやろうと考えていると、
できる範囲のことしかできなくなるという問題も出てきます。
「これさえやっておけばよい」という安心感から、現状維持に終わってしまうという問題です。


私がこれを強く感じたのは、GTD週次レビューでタスクリストを見直しているときでした。
タスクをリストにすることで「これが自分のしたいこと全部だ」という安心感はありました。
しかしいつの間にか、それらのタスクをを解消しさえすればうまくいくんだと、無意識に思い込んでいました。
リスト化することで、リストにない視点からものを見ることが難しくなっていました。


コツコツ努力するという言葉の中にも似たような性質があります。
目の前のことに集中するのはもちろん重要ですが、
時々は大きな視点で全体を見直し、無意識に作っている枠を取り払う必要があります。

二種類の努力

さらにサイトではこのように続きます。

コツコツ努力するとは、一歩一歩着実に努力しようということであり、
この言葉の背後には、「失敗しないよう慎重に事を運ぼう」という意識が隠れている。
失敗すると自己保存が危うくなる。だから失敗しないように、コツコツやろうというわけだ。
自己保存本能は人間にとって大切なものだが、「失敗するかもしれない」という否定語は、
この自己保存本能に過剰反応を起こさせて、脳の働きにブレーキを かけてしまう。
それゆえ、コツコツやるという人は、自分が現在持っている以上の力を発揮することが難しいのである。

一流選手もひとつひとつ地道に課題を乗り越えて、一流になるわけです。
「コツコツ努力すること」が「慎重にことを運ぼうと考えている」と同じとは一概に言えないと思います。


あることを達成しようとするときにどう取り組むか、二つのタイプがあるのではないでしょうか。
一つは、やりたいことを目標におきできることからすぐに始めるタイプ。
もう一つは、常に回避策を考えているタイプ。


前者は、目標をもってそこからの差異を常に意識しています。
自分に何が足りないかわかっていて、それを埋めるために努力します。
一流になれるのがこのタイプでしょう。


後者は、やる前からここで失敗しないようにこうしよう、あの場合はああしようと考えるタイプです。
また、自分は「いまある能力が全て」で、自分には力が足りないからできないと考えます。
だからできる範囲でコツコツやっていくしかない。
こういう考えが自分の可能性をつぶすのです。

失敗を恐れる

自分には今ある能力が全てという考えの裏には、確かに失敗を恐れる心があるように思います。


しかし、失敗を回避することは大切なことではないでしょうか?
先のリスクを考えずに行動し、大きな損害を出した会社もあります。
仕事の上ではリスクを考え、それを回避していくことは大切です。


仕事や他の人を巻き込む事柄の場合は回避策を考えることが必要でしょう。
問題は、個人の能力開発といった本来は人を巻き込まないことにまで
回避策を考えてしまうことです。


自分がなにかを身につけたい、なにかを達成したいと思うのであれば、
失敗など恐れる必要はありません。
失敗したとしても被害を被るのは自分だけですし、
そもそもその失敗自体が起こりえることかも分かりません。
100%の予言者はいないのです。


つまり、自分の責任の範囲なら失敗を恐れる必要すらなく、
本当に失敗してから考えればよいのだということです。
何かを達成するために起こった事柄は、それが人から見て失敗であってもすべて自分の糧となるはずです。
何も恐れることはないのです。

努力をやりたいことに変える

そもそも「自分は努力している」と表現する人は、
その努力している事柄を本当はやりたくないのではないでしょうか。
自分の好きなこと、やりたいことなら努力しているという考え自体が起こりません。
むしろ本人は楽しんでやっているはずです。
やりたくないことをやっているから「自分は努力している、がんばっている」というのです。


やりたくないことを無理にやるのは脳にも体にもよくないことです。
無理をすると体にガタがきます。
でもやりたくなくてもやらないといけない事柄が世の中には多い。
脳に悪いとはいってもやらないといけない。そういう人は多いでしょう。


やらないといけないことは、そこそこにやればいいのです。
重要なのは、やらないといけないけれど本当はやりたくないことを、人生の課題だと思い込まないことです。
得意な人に任せるなどして、無理に自分でやろうとしないことです。


自分で本当にやらないといけないと思ったら、本気でできるようになるはずです。
まだ自分の中で葛藤があるのならば、自分には合っていない、不要な事柄なのです。
しかし生活の上でどうしてもやらないといけない、代わりがいないという場面もあるでしょう。
それなら、自分が本当にやりたいと思うように形を変えましょう。
どうすれば自分がそれを進んでやろうと思えるのか。
それを見つけましょう。


一番悪いのは「やりたくないのにやらないといけない」と愚痴を言ってムダに過ごすことです。
その時間があるのなら、自分を周りを、変えましょう。
努力が努力だと思わなくてもすむように。