誰にも頼らないことが自立なのか - 「助けてと言えない」を読んで


仕事がない、収入が少なくなる、信頼できる人がいない…。
こんなときあなたならどうするでしょうか。


私なら。
いい仕事に就くために資格をとったり、アクティブに動かなければ、
収入アップするためにスキルを身につけなければ、
信頼できる人に巡り会えるように積極的に人と関わり、コミュニケーションをよくしなければ。
もっと頑張れば、きっとなんとかなるはず。
こんな状況になったのは自分の頑張りが足りなかったからかもしれない…。
親や友達に心配はかけられないから言わないでおこう。
きっとそう思うでしょう。

たったひと言、便せんに綴られた文字、「たすけて」。
「派遣切り」などで生活困窮者が急増していた2009年4月。これほどまでに胸を突き刺すような悲痛な言葉はなかった。
この言葉を残したのは、北九州市門司区の住宅で孤独死した元飲食店従業員の男性だった。男性は餓死したとみられている。まだ39歳だった。


この男性の「たすけて」というメモは誰にも届きませんでした。
生活保護の申請に出向いたものの、「もう少し頑張れば仕事が見つかるかもしれないから」と申請をせずに帰った彼。
結局、彼は自分からSOSを発信しないまま亡くなってしまった。
自分のことは自分でなんとかしなければならない、それが大人だ…と思っていたのかもしれません。


今、彼のようにSOSが出せない30代が増えているそうです。
私には彼のことが他人事には思えません。
私自身も、自分がもっと頑張ればなんとかなったのではないかという考えに捕われています。


いい学校を出ていい会社に入ることが安定なのだと、親世代から教わって育ちました。
そのために受験戦争を乗り切らないといけない。受験は実力。努力すればするほど結果がついてくる。
親世代が普通にできたことが自分たちにできないはずがない、できないのは自分に問題があるからだ。
失敗したら「自己責任」。失敗しないように自分で考えて行動しないといけない。
自分のことが自分でできないのは「甘え」で、大人のすることではない…。
こんな考えにどっぷり浸かっていました。
周りからもそう教わってきましたし。

「彼らは、本当はぎりぎりのところまで追い詰められているんだけど、まだ自分で頑張れると思って、自分で頑張っている人たちなんだと思う。彼ら自身の思い込みかもしれないけれど、僕は社会がそうさせていると思うんですね。自己責任論ということを社会は言ってきた。この社会が、自分の責任だと言い続けてきたんですよ」


私たちは頑張ることに夢中になって、自分の置かれている立場を客観的にみられなくなっているのかも。
SOSを出してもいい状況なのに、まだ頑張れると支援を拒む。
支援を受けることは甘えだし大人失格だとどこかで思っている…。


誰にも迷惑をかけない、自立した人間でいたいという気持ちはあります。
でも人は一人では生きられない。完全に迷惑をかけないことも無理だ。
それなら、迷惑を掛けることを詫びながらも、お互い支え合っていければいいのでは。
それが社会で生きていくということなのかもしれません。


私たち30代は「自立」という言葉を、誰にも頼らないことだと誤って理解しているように思います。
自分の意志で物事を決め、他者の施しに感謝し、他者に適切に手を貸せる人が、本当の自立なのではないでしょうか。


私自身も孤独で追い詰められましたが、家族や支援者の力で少しずつ元気を取り戻しています。
一人で頑張っているだけでは絶対にたどり着けなかった。
迷惑を掛けていますが、それでも受け入れてくれる人たちがいる。それが心強い。


どこにSOSを出していいのかわからない人もいるでしょう。
わからないから一人で頑張るのではなく、SOSを出せるところを探す方向で頑張ってみるのはどうでしょうか。
きっと助けてくれる人がいます。話を聞いてくれる人がいます。
私たちは一人ではない。


いま30代に何が 助けてと言えない

いま30代に何が 助けてと言えない